人気ブログランキング | 話題のタグを見る

自己放棄から自己超越へ(2):自分意識から人間自覚へ(四木 信)

 セルフ・ネグレクト(自己放棄)の気持ちを、実は私も若い頃に持っていました。生きていても意味がない苦しいだけの、何もできないちっぽけな自分。そんな虚しい自分意識は、虚しい自分の空っぽな人間観、こんなもんでしかないという幼稚な人間観によって裏打ちされ増幅されて、虚しく苦しい地獄のどん底の気持ちを味わっていました。
 5年間の半ひきこもり状態の苦しいどん底の気持ちを乗り越えることができたのは、苦しさに耐えきれなくなったから開き直って自分意識から解放されたからです。今のちっぽけな自分にとらわれずに人間らしく生きよう、自分らしさを考えるのでなく人間らしさを求めて生きようと、自分意識から解放されて人間らしさを考えることができるようになったからです。
 自分意識から人間意識への変化。それが、私のセルフ・ネグレクト(自己放棄)の気持ちを、乗り越えることができたキーポイントだったと思っています。
 ですから、当ブログ「人間学考」を始める背景に、人間らしさを探求しよう、人間らしさ探求を自分の課題(テーマ)としてこれから生きよう、という気持ち・決断があります。

 自己放棄(セルフ・ネグレクト)の気持ちの底には、人間否定→人間放棄の気持ちがある、と私は自分の経験から思っています。
 自己放棄と人間放棄の絶望苦悩を乗り越えて、小さな自己から意味ある希望の人間へ、どのように自分意識から人間自覚へと変わっていくことができるのか? みんなで知恵を出し合い、考えていきたい。人間ケアの為事(しごと)と文化を共創していきたい、と願っています。

 勝田茅生さん(ドイツ在住のロゴセラピスト)は、フランクルの言葉を交えながら、人間らしさと精神次元について次のように言っています。/勝田茅生『ロゴセラピーと物語:フランクルが教える〈意味の人間学〉』新教出版社2022年
「フランクルのたとえ──飛行機と人間
「精神的なものというのは人間を高め、人間にだけ与えられた、人間によって初めて姿を現すものである。飛行機がただ地上を走っているからといって、これが飛行機でないと言うことはもちろんできない。けれどもそれが本当に飛行機だということは、空に向かって飛び立つ場合にだけ証明できる。これと同じように、人間も人間らしい行動を始めることによって──つまり心理的・物理的・有機的事象の次元から外に出て初めてできることなのだが──自分自身に対置することができて初めて、その人は人間だということが明らかにされるわけだ。これが証明されれば、その人間は実存しているということになる。実存というのは、「自分自身を常に超えている」ということを意味しているのだ。」(フランクル『ロゴセラピーと実存分析』Logotherapie und Existenzanalyse,Quintessenz,1994,S.72-73)
 フランクルは、「精神的なもの」の存在を仮定しなければ、自分を超える人間的な決断は説明できないと考えました。人間と動物の大きな違いは、動物が本能に従って生きているのに対して、人間には「どういう行動に価値や意味があるか」を認識する能力があることです。
 そうでなければ、動物にもある「心と体」の二次元だけで、人間がどうして自分の制約を超える「自己超越能力」や、自分の環境や人生を見渡せるような「自己距離化能力」を持っているのかうまく説明することができません。「心と体」はいわば自分と身内だけを保護する本能的役割を担当しているからです。
 「精神次元」があるからこそ、私たちは自分を保護してくれる「心と体」から外に出て、「自分ではない誰かのために、または何かのために意味のあること」に向けて、飛び立つことができるのです。そこで初めて人間が動物とは違う存在の仕方をしているということが分かるわけです。」p.130-132

 そしてロゴセラピストの役割を、次のように言っています。
「心に大きな問題のある人は、・・・・本当は鷹なのに「自分はとても空を飛ぶような鷹にはなれない」と思い込んでいる人だと言えるでしょう。ですから、ロゴセラピーの役割は、このような思い込みを抱えて生きている鷹に、「大丈夫、あなたなら飛べる」という根源的な信頼を与えることなのです。それは、人間だけに与えられた崇高な精神的な次元を意識することです。
 それだけではありません。最も大きな課題は、・・・・どう生きることに人間としての価値があるのか、どのような「ミッション」を引き受けて実行することに「意味」があるのか、そういうことを一緒に考えていくことだと言えるでしょう。」p.132-133





by ningen-gakkou | 2023-04-17 16:03


<< 人間らしい「苦悩能力」を(四木 信) 自己放棄から自己超越へ(四木 信) >>