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「人間精神=心核生命」仮説(四木 信)

 フランクル(1905-1997年)が言う、身体(Body)や心性(Mind)とは別次元に、人間独自の発達進化次元として存在する、人間らしさの本性「Geist(Spirit)」(人間精神)とは、いったい何だろう? この半年ほど考え続けてきました。
 そしてようやく最近になって、「Geist(Spirit)」(人間精神)とは「こころいのち」の「核」のこと、「人間精神=心核生命」だ、と思い至りました。

 フランクルは「人間存在の次元」について、次のように言っています。/フランクル『神経症Ⅱ』(フランクル著作集5、みすず書房1961年)
「心身医学によって導き入れられた人間の心身の全体性という議論に対して、われわれはこの全体性というものは・・・・心理的身体的一体性を越えて・・・・第三の精神的なものをつけ加える時に初めて始まると考える・・・・。
(層構造図:同心円の中核に精神的層、その外側に心理的層、その外側に身体的層が存在する)
 図で注目すべきことは、心理的層と身体的層との間の境界線は・・・・精神的な中核と心理的な層との間の境界線とは反対に・・・・点線でのみかかれているということである。すなわちそのことは、本来の境界、本質的な切目は心理的なものと精神的なものの間に存するということを示しているのである。」p.81-82

 そして、このように言っています。
「生理的なもの、心理的なもの、精神的なものを統一的、全体的人間存在のそれぞれの次元と見なす次元的な考察様式・・・・この三つの契機は根本的に異なり、したがって存在論的に互いに区別されると共に、人間においてはそれらは本質的に関連しており、したがって人間学的に互いにひきはなすことができない・・・・。
 三つの契機に分化していく同一の存在・・・・。」p.82
「人間存在の・・・・三次元性から生じることは、われわれが精神的な次元に敢えてふみ入る時に、初めて本来の精神的なものが現れるということである。人間はわれわれがこの「第三の」次元を考察に引き入れる時に初めて人間として現れるのである。すなわち、人間の植物的生活(単なる生命活動的な意味における生活)は問題なく身体的なものの次元内において説明され、人間の動物的生活も殆どなお心理的なものの次元において説明され得るのに対して、人間の存在そのもの、人格的精神的実存、はこの二つの次元、単なる心身性の「平面」には現れてこないのである。」p.84

 フランクルは人間を、身体(Body)的次元・心理(Mind)的次元・精神(Geist,Spirit)的次元の、三つの次元に分化していく存在として考えています。
 そして、人間の人格的精神的実存は、心身の二つの次元には現れてこない。人間が精神的な次元に敢えてふみ入る時に、初めて精神的なものが現れる。と考えています。

 これから「人間精神=心核生命」仮説を深めていきたいと思っています。





by ningen-gakkou | 2023-03-27 17:35


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